樹齢300年『真網代のアコウ』
真網代地区で春祭りが行われた4月18日、「アコウ樹」に立ち寄りました
真穴かるた巡りの第4回目は【ゆ】『真網代のアコウ』です。
夕映えに 染まるアコウ樹 三百余年
『真網代の旧庄屋屋敷の裏山に自生しているアコウは昭和36年8月5日に市指定天然記念物となっている。幹まわり約7メートル、枝振り約23.8メートル、樹齢はおよそ300年くらいで八幡浜では真網代のアコウ樹が一番大きい。アコウはクワ科の亜熱帯の高木で幹の周囲から呼吸のため気根を出し、葉は楕円形で、春、枝または幹に淡紅色の果実をつける。別名「たこの木」といわれる。』(「真穴かるた」解説全文)

集会所から望む真網代地区です。ここに珍しいアコウがあるというので訪ねてみました。お恥ずかしい話ですが、今の今まで存在を知りませんでした。1週間前に下見をした際に近所の方から場所を聞き、これまでに幾度と目にしていたであろうモコモコッと茂る樹木、あれがアコウの樹だと知り驚きを隠せませんでした。
真網代漁港から歩いて数分のところ、釣り場としても有名な真網代漁港とアコウ。今回はお魚のアコウではなく、植物のアコウのご紹介です。

路地を入ってゆるやかな坂道を登り程なくすると、整備された遊歩道の先に八幡浜市指定天然記念物の木碑とアコウを紹介する説明板が見えてきました。そこには『植物学上、この地方が北限分布地とされている。市内には、大島及び地大島、八幡神社の東南の崖、合田の一宮神社の境内、海老崎の崖などに自生しているが、ここのアコウが樹齢三百年、幹周七・六二m、樹高二一mで一番大きい 八幡浜市教育委員会』と記載されていました。
ちなみに直線距離で25kmほど西にあり、佐田岬半島の先端に程近い伊方町三崎にあるアコウは、樹齢約600年といわれ国の天然記念物に指定されています。
(話を元に戻して)奥には鳥居と祠が建っていました。40年ほど前に地元の有志の方が建てたものだそうです。(短期調査では名称不詳です。「真網代アコウ神社」と呼んでも良いものでしょうか。残念ながら現在はどなたも管理されていないそうです。)
悪いクセで前置きが長くなりました。『真網代のアコウ』です、ご覧ください。

歩道から雑木を掻き分け半身乗り出して覗き込むと、なんということでしょう、そこにはまるで太古の地球にタイムスリップしたかのような異次元の光景が。


聞きしに勝る荘厳さとその神秘さに惹かれ、いつの間にか少年に戻り、時が経つのも忘れて付近を探検していました。

同じ仲間のガジュマルには宿るという精霊キジムナーの姿はここでは見つけることはできませんでしたが、

幹というか巨大な気根に体を預け、悠久の時を刻むアコウ樹からエネルギーをいただきました。ふと我に返り少年から中年に戻ると、あと300年は生きられそうだという錯覚に陥りましたが、そこはほどほどに生きてみようかと・・・。

これはアコウの花です。クワ科イチジク属ですのでイチジク(無花果)と同じように隠頭花序 といって、内部に無数の花を咲かせていますので外見では分かりません。直径は1cmほどの小さなもので、熟すと果実となり、かるた解説文にあるような淡紅色に変化します。実の内部には、巨大な姿からは想像もできないほどの、小さな小さな種をたくさん詰めこんでいます。
ここのアコウも何処の地からか実をついばんだ鳥によって運ばれ、そしてまたこの地から何処の地へと新たな生命を宿らせていることでしょう。

アコウがこの地に根を下ろした約300年前、記念誌「まあな」によると1714年9月真網代大火に及び大円寺の堂宇をはじめ位牌や過去帳までも消失。各戸は墓碑により過去帳を作成し、本堂は1718年に再建されました。
1781年馬目網代を真網代と改称、1844年疱疹大流行し死者43人、1853年大地震津波あり、1875年真網代に真海小学校(穴井梅ノ森小学校と共に現真穴小学校の前身)が開校、1889年真網代・穴井・大島の3浦合併で真穴村が誕生。
1913年打瀬船天神丸が源蔵前の浜から出航、1938年大円寺山門のみを残し諸堂消失、1950年再建、1955年八幡浜市と合併、1963年大浦浜に真穴選果場が新築され、1964年真穴みかんが天皇杯を受賞するに至りました。真網代に住む人々の苦しみも楽しみも、悲しみも喜びも、300年の間ずっと見続けてきたアコウの樹です
※ここが私有地であることを後で知りました。無断で遊歩道より中へ立ち入ったことをお詫びいたします。

真穴かるた巡りの第4回目は【ゆ】『真網代のアコウ』です。
夕映えに 染まるアコウ樹 三百余年
『真網代の旧庄屋屋敷の裏山に自生しているアコウは昭和36年8月5日に市指定天然記念物となっている。幹まわり約7メートル、枝振り約23.8メートル、樹齢はおよそ300年くらいで八幡浜では真網代のアコウ樹が一番大きい。アコウはクワ科の亜熱帯の高木で幹の周囲から呼吸のため気根を出し、葉は楕円形で、春、枝または幹に淡紅色の果実をつける。別名「たこの木」といわれる。』(「真穴かるた」解説全文)
八幡浜市指定天然記念物「真網代のアコウ」


集会所から望む真網代地区です。ここに珍しいアコウがあるというので訪ねてみました。お恥ずかしい話ですが、今の今まで存在を知りませんでした。1週間前に下見をした際に近所の方から場所を聞き、これまでに幾度と目にしていたであろうモコモコッと茂る樹木、あれがアコウの樹だと知り驚きを隠せませんでした。
真網代漁港から歩いて数分のところ、釣り場としても有名な真網代漁港とアコウ。今回はお魚のアコウではなく、植物のアコウのご紹介です。


路地を入ってゆるやかな坂道を登り程なくすると、整備された遊歩道の先に八幡浜市指定天然記念物の木碑とアコウを紹介する説明板が見えてきました。そこには『植物学上、この地方が北限分布地とされている。市内には、大島及び地大島、八幡神社の東南の崖、合田の一宮神社の境内、海老崎の崖などに自生しているが、ここのアコウが樹齢三百年、幹周七・六二m、樹高二一mで一番大きい 八幡浜市教育委員会』と記載されていました。
ちなみに直線距離で25kmほど西にあり、佐田岬半島の先端に程近い伊方町三崎にあるアコウは、樹齢約600年といわれ国の天然記念物に指定されています。
(話を元に戻して)奥には鳥居と祠が建っていました。40年ほど前に地元の有志の方が建てたものだそうです。(短期調査では名称不詳です。「真網代アコウ神社」と呼んでも良いものでしょうか。残念ながら現在はどなたも管理されていないそうです。)
悪いクセで前置きが長くなりました。『真網代のアコウ』です、ご覧ください。
悠久の時を刻むアコウの樹

歩道から雑木を掻き分け半身乗り出して覗き込むと、なんということでしょう、そこにはまるで太古の地球にタイムスリップしたかのような異次元の光景が。




聞きしに勝る荘厳さとその神秘さに惹かれ、いつの間にか少年に戻り、時が経つのも忘れて付近を探検していました。

同じ仲間のガジュマルには宿るという精霊キジムナーの姿はここでは見つけることはできませんでしたが、

幹というか巨大な気根に体を預け、悠久の時を刻むアコウ樹からエネルギーをいただきました。ふと我に返り少年から中年に戻ると、あと300年は生きられそうだという錯覚に陥りましたが、そこはほどほどに生きてみようかと・・・。
花と実と種 新たなる生命

これはアコウの花です。クワ科イチジク属ですのでイチジク(無花果)と同じように
ここのアコウも何処の地からか実をついばんだ鳥によって運ばれ、そしてまたこの地から何処の地へと新たな生命を宿らせていることでしょう。
300年の営みを見つめるアコウの樹


アコウがこの地に根を下ろした約300年前、記念誌「まあな」によると1714年9月真網代大火に及び大円寺の堂宇をはじめ位牌や過去帳までも消失。各戸は墓碑により過去帳を作成し、本堂は1718年に再建されました。
1781年馬目網代を真網代と改称、1844年疱疹大流行し死者43人、1853年大地震津波あり、1875年真網代に真海小学校(穴井梅ノ森小学校と共に現真穴小学校の前身)が開校、1889年真網代・穴井・大島の3浦合併で真穴村が誕生。
1913年打瀬船天神丸が源蔵前の浜から出航、1938年大円寺山門のみを残し諸堂消失、1950年再建、1955年八幡浜市と合併、1963年大浦浜に真穴選果場が新築され、1964年真穴みかんが天皇杯を受賞するに至りました。真網代に住む人々の苦しみも楽しみも、悲しみも喜びも、300年の間ずっと見続けてきたアコウの樹です

※ここが私有地であることを後で知りました。無断で遊歩道より中へ立ち入ったことをお詫びいたします。
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