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    from Ma-ana district,
    Yawatahama City,Ehime Prefecture.

    エンコ祭りとは

     穴井地区には、子どもが水難事故に遭わないよう祈願する「エンコ祭り」という一風変わった風習があります

     ”エンコ”とは河童(カッパ)のこと。長老の話によると『その昔、河童が陸に上がって来て、子どもを海に連れて行こうとした。すると、それを見た住吉神社の神様と思われる白髪で長いひげの白装束のおじいさんが現れ、子どもを引き戻し、無事救うことができた』(「穴井歳時記」明日葉の会 1999年)という伝説があり、これが「えんこ祭り」の起源とされ、およそ100~150年続いているといわれています。

     毎年旧暦の4月5日に灘の浜で行われます。夕刻になると水天宮と龍王神社の二つの祠(ほこら)に豆ご飯やお寿司のおにぎりを供えて参拝し、浜に降りて海にもお供えをします。こうして水難除けの神様にお願いをし、カッパの霊も供養しながら、子どもの海の事故が無いよう祈るのです。すっかり日が傾く頃には親子連れを中心に人々が集まり、浜で弁当を広げて辺りが薄暗くなるまで楽しみます。”水天宮祭り”とも呼び、今年は5月3日に行われます。

    灘の浜から望む住吉山(エンピツ山)、波切の浜、波頭(造船所あたり)
    住吉山1 住吉山2
     住吉神社のあったところ。現在はエンピツの形をした石碑のみが残っています。
     明治から大正の頃までは、この波切(なきり)の浜や波頭で行われていました。
     昔は、お供えは海にだけしていたようです。

    水天宮と龍王神社】(昨年のえんこ祭り当日)
    水天宮1 龍王神社
     昭和の初期に穴井から三瓶に県道(現 国道378号)ができた頃からは灘の浜で。
     この二つの祠(ほこら)もその当時に作られたようです。
     以降、祠にお供えお参りしてから浜でお弁当…この形になったようです。

     余談ではありますが、ン十年前、私がまだ、それはそれは可愛らしい子どもだった頃は、深い意味など知らず「浜でお重に入ったごちそうが食べられる」くらいの感覚でした。また水天宮さんを「すいてんぐさん」と発音していましたので、まだ無垢で汚れのなかった心には、聞こえたまんま「水天狗」、つまりこのお祭りに天狗のイメージを持っていたのを記憶しています。

     現在は穴井区及び穴井自治公民館共催で、老人クラブ会長さんや愛媛県歴史文化博物館主任学芸員の大本敬久さんを招いて、子どもたちに正しい「エンコ祭り」の意味を説明して頂いていますので、私のようなデキの悪い子どもは一人もいませんネ。

     最後に、
     『これから海に近づくことが多くなる季節に行われ、その年に海で事故がないよう祈願する行事です。楽しい行事ではありますが、これからの季節に水での事故が起こらないように、そして起こさないように、という穴井の先祖からの注意と戒めの意味も込められた伝統行事だということも忘れてはいけません。』(「エンコ祭り資料」大本敬久主任学芸員)


    【5月6日:追記】今年のエンコ祭りはこちら→「エンコ祭り2014」の記事をご覧ください。
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