愛媛県の指定文化財『長命講伊勢踊り』
2月18日、神明 神社で伊勢踊りが奉納されました。
真穴かるた巡りの第5回目は【え】『長命講伊勢踊 り』です。
愛媛県の 文化財です 伊勢踊り
『伊勢踊りは1624年頃に高知県から南予に伝わって来た。穴井へは1680年頃に伝わったといわれている。その頃は年に3回踊りを奉納していたが、(1765年)明和2年長命講の組織が出来てから旧暦の毎月11日に踊りを奉納するようになった。その後次第におとろえたが、1857年(安政4年)に神明神社が今の場所に増築された際に強化されて現在に至っている。長命講伊勢踊りは長い伝統と古い形の踊りが評価されて、昭和38年5月に県の無形文化財に指定された。』(「真穴かるた」解説全文)



2月18日は旧暦の正月十一日、伊勢踊り正月大祭の日です。底冷えのする午前9時を過ぎると、天満神社の宮司さんはじめ長命会の皆さんが三々五々に集まり、鳥居から185段の階段か杉林の山道を上って神明神社(通称“大神宮 さん”)を目指します。
「座敷雛」通の方なら聞き覚えのある長命講伊勢踊り、安永7年(1778年)に伊勢踊りのワキ踊りとして開催された「穴井歌舞伎」が、天明3年(1783年)その技法をもって従来のひな祭りに革命を起こし座敷雛が誕生したとされています。座敷雛の歴史を紐解くうえでも必ず登場する長命講伊勢踊りは、昭和52年に愛媛県指定無形民俗文化財に指定替えされました。


毎月旧暦の十一日に伊勢踊りは奉納されますが、正月、五月、九月の年3回のみが大祭で、それ以外の月は月次祭 になっています。大祭は神明神社で、月次際は穴井天満神社で奉納されています。五月、九月の大祭と月次祭の服装は平服で、正月の大祭だけ正装で奉納されます。白のくくり袴に千早 という上着を付け、頭には黒烏帽子 、足は白足袋という装束です。


標高150mの愛宕山 の中腹に祀られている神明神社は穴井天満神社の末社で、御神体は天照大神 (太陽の神様)、豊宇気比売命 (食物の神様)、火産霊神 (火の神様)の三体です。午前10時より、穴井天満神社第十九代薬師神敬篤宮司さんによる神事が厳かに執り行われました。祝詞 の奏上、清めの御祓いと続き、最後に長命会長垣内種男さんが玉串を捧げて、神事は滞りなく執り納められました。


太鼓が打ち鳴らされ伊勢踊りが始まりました。伊勢踊りは「歌い方」「踊り方」「太鼓方」で構成されています。今回は「歌い方」5人、「踊り方」7人、「太鼓方」1人です。奉踊歌 は12番まであり、上の句を歌い方が歌い、下の句は歌い方と踊り方の双方が一緒に歌います。



踊り方は円陣をつくり、御幣 を胸元で両手に持ち神前に向かって拝礼、歌が始まると時計回りに向きを変え、7つの所作を繰り返しながら踊ります。1回の踊りは約15~20分で、10分の休憩を挟みながら正月大祭では午前中に3回、午後から3回の計6回踊ります。他の大祭や月次祭は午後からの3回のみです。

素朴な装束で、太鼓と歌の拍子も踊りの所作もゆっくりで、拝殿は優雅な空気に包まれます。150mの太鼓やぐらと化した愛宕山から、心地良い響きが穴井の隅々まで鳴り渡り、時がゆったりと流れていきます。宇和島藩の保護の下、南予各地に広まり今なお続いている伊勢踊りの中でも、穴井のものはより原型に近いと言われています。

午前中の踊りが終わったところでお昼になりました。早朝から公民館の調理室で女性会員さんらがお昼の“まかない”を準備していました。愛宕山から下山してこれを持ち帰ります。午後からの3回の踊りが終わると、会員さんらが手分けして御祈祷札を希望された各戸に届けに回っていました。
長命会の役員さんは大世話係(会長)1人、小世話係5人からなります。公民館和室での夕方からの直会 では、御神酒と小世話係さんが手配した料理を頂きながら、お互いを労い、健康でいられたことの感謝と長命を願いつつ、四方山話に花を咲かせます。こうして夜のはじめに春季大祭は幕を閉じます。

現在会員さんは75歳から88歳までの24人です。前会長さんで最長老の井上為雄さんによると、以前は多いときで100人ぐらいの会員さんがおられたそうで、歌い方は15人、踊り方も一度に12人が踊り、交代要員もいたようです。会長さん共々、これからは会員を増やすことに力を注ぎたいと。70歳以上の方はできれば全員に入ってもらい、65歳以上の方もどんどん誘っていきたいそうです。
また、ある女性会員の方は「秋祭りに(御旅所となる)公民館でやって、見たことない言う子どもらや住民に、もっと知ってもらえるようにできんもんか…」とも。250余年続く伝統行事、以前の賑わいを取り戻せるよう願うばかりです。
(参考:平成15年度ふるさと文化再興事業、愛媛県生涯学習センター「えひめの記憶」、第1回ふるさと講座
◇附録 奉踊歌(一)◇
御伊勢よふ だの神いくさ もくりこくりを平らげて
神代君代の国々の千里 の末の人迄も
アラ豊かにて 踊り喜ぶ人はみな
歳は千年 を保つなり 老若男女貴賎ども
栄え栄えるめでたさや 御伊勢踊りのめでたさや
真穴かるた巡りの第5回目は【え】『
愛媛県の 文化財です 伊勢踊り
『伊勢踊りは1624年頃に高知県から南予に伝わって来た。穴井へは1680年頃に伝わったといわれている。その頃は年に3回踊りを奉納していたが、(1765年)明和2年長命講の組織が出来てから旧暦の毎月11日に踊りを奉納するようになった。その後次第におとろえたが、1857年(安政4年)に神明神社が今の場所に増築された際に強化されて現在に至っている。長命講伊勢踊りは長い伝統と古い形の踊りが評価されて、昭和38年5月に県の無形文化財に指定された。』(「真穴かるた」解説全文)
県指定無形民俗文化財





2月18日は旧暦の正月十一日、伊勢踊り正月大祭の日です。底冷えのする午前9時を過ぎると、天満神社の宮司さんはじめ長命会の皆さんが三々五々に集まり、鳥居から185段の階段か杉林の山道を上って神明神社(通称“
「座敷雛」通の方なら聞き覚えのある長命講伊勢踊り、安永7年(1778年)に伊勢踊りのワキ踊りとして開催された「穴井歌舞伎」が、天明3年(1783年)その技法をもって従来のひな祭りに革命を起こし座敷雛が誕生したとされています。座敷雛の歴史を紐解くうえでも必ず登場する長命講伊勢踊りは、昭和52年に愛媛県指定無形民俗文化財に指定替えされました。
伊勢踊りの装束



毎月旧暦の十一日に伊勢踊りは奉納されますが、正月、五月、九月の年3回のみが大祭で、それ以外の月は
神 事



標高150mの
伊勢踊り奉納




太鼓が打ち鳴らされ伊勢踊りが始まりました。伊勢踊りは「歌い方」「踊り方」「太鼓方」で構成されています。今回は「歌い方」5人、「踊り方」7人、「太鼓方」1人です。





踊り方は円陣をつくり、

素朴な装束で、太鼓と歌の拍子も踊りの所作もゆっくりで、拝殿は優雅な空気に包まれます。150mの太鼓やぐらと化した愛宕山から、心地良い響きが穴井の隅々まで鳴り渡り、時がゆったりと流れていきます。宇和島藩の保護の下、南予各地に広まり今なお続いている伊勢踊りの中でも、穴井のものはより原型に近いと言われています。


午前中の踊りが終わったところでお昼になりました。早朝から公民館の調理室で女性会員さんらがお昼の“まかない”を準備していました。愛宕山から下山してこれを持ち帰ります。午後からの3回の踊りが終わると、会員さんらが手分けして御祈祷札を希望された各戸に届けに回っていました。
長命会の役員さんは大世話係(会長)1人、小世話係5人からなります。公民館和室での夕方からの
長命会の今とこれから

現在会員さんは75歳から88歳までの24人です。前会長さんで最長老の井上為雄さんによると、以前は多いときで100人ぐらいの会員さんがおられたそうで、歌い方は15人、踊り方も一度に12人が踊り、交代要員もいたようです。会長さん共々、これからは会員を増やすことに力を注ぎたいと。70歳以上の方はできれば全員に入ってもらい、65歳以上の方もどんどん誘っていきたいそうです。
また、ある女性会員の方は「秋祭りに(御旅所となる)公民館でやって、見たことない言う子どもらや住民に、もっと知ってもらえるようにできんもんか…」とも。250余年続く伝統行事、以前の賑わいを取り戻せるよう願うばかりです。
(参考:平成15年度ふるさと文化再興事業、愛媛県生涯学習センター「えひめの記憶」、第1回ふるさと講座
◇附録 奉踊歌(一)◇
御伊勢よ
神代君代の国々の
アラ豊かにて 踊り喜ぶ人はみな
歳は
栄え栄えるめでたさや 御伊勢踊りのめでたさや
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